日本の医療を語るとき、必ず顔を出すのが「日本医師会(日医)」という存在です。年間で約48兆円(約3000億ドル)にのぼる医療費の使い道や、私たちが窓口で払う「医療の値段」の決め方に、この団体は静かに、しかし確実に手を伸ばしてきました。なぜ一つの職業団体が、これほど長く与党・自民党と深く結びついてきたのか。たどっていくと、「票」と「カネ」という二つの分かりやすいエンジンと、制度のすき間に根を張った独特のしくみが見えてきます。良い面も悪い面も含めて、その構造をほどいていきます。票とカネという二つのエンジン医師会の政治力の源は、つきつめれば二つに集約できます。一つは選挙の票、もう一つは政治献金です。ここで押さえておきたいのが、表に立つ「日本医師会」と、政治活動を担う「日本医師連盟(日医連)」が別組織になっている点です。日医は公益団体としての顔を持ち、政治とは一線を画すたてつけになっています。けれども日医連のトップである委員長は日医会長が兼ねており、両者は事実上、表裏一体の関係にあります。そのお金の流れは具体的です。日医連は都道府県の医師連盟からの寄付で、2022年には9億5110万円(約590万ドル)もの収入を得ており、その原資は医師が納める会費です。たとえば東京の各支部では、会員が年に3万6000円(約230ドル)ほどを納める形になっています。集めたお金は政界へと流れます。2024年分の報告では、日医連は自民党を中心に約160人の国会議員らの側へ、合計でおよそ3億9000万円(約240万ドル)を提供しました。広く薄くばらまくのは「数は力」の永田町で、日医に賛同する議員を一人でも増やすためだとみられています。票の面では、医師会は参議院の比例代表に「組織内候補」を立て、全国の会員に票を呼びかけてきました。医療界という全国に張りめぐらされたネットワークが、そのまま選挙マシンになるわけです。お金で議員とのパイプを保ち、票でみずからの代弁者を国会に送り込む。この二本立てが、長年にわたる影響力の土台になってきました。診療報酬という、医療の値段医師会がこだわるのには理由があります。それは「診療報酬」という、医療行為一つひとつにつけられた公定価格の存在です。初診料、検査、手術、薬の管理など、あらゆる医療サービスに国が値段を決めており、それが病院や診療所の収入を直接左右します。この価格はおおむね2年に一度改定され、厚生労働省の中央社会保険医療協議会(中医協)という場で議論されます。中医協には、医療を提供する側(医師会などが入ります)、保険料を払う側(健保組合や労働組合など)、そして中立の立場の委員が顔をそろえます。理屈のうえでは、エビデンスやコストにもとづいて合理的に値段が決まることになっています。しかし実際には、医療団体の強い要望や、政治家から厚労省への働きかけといった政治的な要素が入り込む余地が残されています。改定率がわずかに動くだけで、全国の医療機関の収入は大きく変わります。だからこそ医師会は、その決定プロセスに影響を与えられる立場を手放そうとしないのです。ここに、医療費のムダが生まれる隙があると指摘されてきました。たとえば日本では、海外に比べて診療所や病院に行く頻度が高く、薬の長期処方やリフィル処方(同じ処方箋をくり返し使うしくみ)がなかなか広がりません。一回ごとの受診や処方が収入につながる価格体系のもとでは、受診回数を減らす方向の改革は、提供側にとって歓迎しにくいものになります。診療報酬の設計思想そのものが、利害と密接に結びついているわけです。なぜ厚労省は医師会に頭が上がらないのか厚労省が開業医の利益団体に弱い、としばしば言われます。その背景には、役所と政治と業界のあいだに働く力学があります。診療報酬の改定や医療制度の見直しには、現場を動かす医療界の協力が欠かせません。制度をいくら立派に設計しても、医師たちが従わなければ医療は回らないからです。加えて、政治のルートがあります。医師会が支援する議員、いわゆる「厚労族」と呼ばれる政治家たちが、改革に待ったをかけたり、業界の要望を役所に伝えたりします。役所にとっては、予算編成のカギを握る政治家の意向は無視できません。日医連は歴代の厚労相を中心とした自民党の厚労族や、財務相経験者にも資金を渡してきたとされます。お金と票でつながった政治家が役所の頭ごしに圧力をかける構図ができあがると、現場を持たない官僚は分が悪くなります。コロナ禍は、この関係に世間の目が向くきっかけになりました。感染が広がる中で発熱患者の受け入れを断る診療所が相次ぎ、「いざというときに動かないのに、平時には強い発言力を持つのか」という不信が広がったのです。医療を守る団体という建前と、会員の経営を守る利益団体という実態。その二つの顔のずれが、はっきりと見えた瞬間でした。会費が政治資金に変わる回路表からは見えにくい、しくみの細部にこそ核心があります。日医連の事務所は、あえて日本医師会館の外にある築50年ほどのマンションの一室に置かれています。公益事業を担う日医と一線を画すための形式上の措置ですが、その事務局自体は会館の3階にあり、実態としては一体です。建前と実態を巧みに使い分ける、象徴的な配置といえます。そして、もっとも生々しいのが献金の決め方です。だれにいくら渡すかは、最終的に委員長、つまり日医会長が決めるとされます。議員の影響力や日医への貢献度、医師かどうか、将来性などを総合的に判断して配分するというのです。会員一人ひとりが納めた会費が、トップの裁量で政治家への評価とひもづけられていく。組織の内部にいる人ほど、この力学を肌で感じることになります。近年は、お金の流れがさらに見えにくくなっています。パーティー券は一回あたり20万円以下なら購入者名を報告書に記載する義務がないため、表に出にくい実質的な献金として使われるケースが増えていると指摘されます。日医連の2023年の収入総額は約21億円(約1300万ドル)で、そのほとんどは各地の医師が納めた会費でした。会費という性質上、会員には支出先を細かく問う声が上がりにくく、お金は静かに政界へ環流していきます。なお、医師会に入っていても日医連には加わらない医師も存在し、内部にも温度差があることは見落とせません。ポジティブに見れば、国民皆保険を支えてきた顔ここまでは批判的な視点が中心でしたが、医師会の役割をすべて否定するのは公平ではありません。擁護する立場からは、別の風景が見えてきます。日本は誰もが保険証一枚で医療を受けられる国民皆保険を築き、世界でも高い水準の平均寿命を実現してきました。その維持には、全国にくまなく診療所を構える開業医の存在が欠かせませんでした。医師会は、過度な医療費抑制で現場が疲弊し、地域から医療機関が消えていく事態を防ぐ「歯止め」として機能してきた、という見方があります。診療報酬を一方的に削られれば、不採算の地域医療や小児科、産科などが立ち行かなくなる。それを政治の力で守ることは、結果として国民の利益にもなる、という論理です。実際、ワクチン接種や検診、災害時の医療提供など、公衆衛生の現場を支えてきたのも医師たちのネットワークです。政治への関与を、単なる既得権の防衛と切り捨てるのか、医療の持続性を守るための正当な活動と評価するのか。ここは立場によって評価が大きく分かれるところであり、どちらか一方が絶対に正しいと言い切れる問題ではありません。歴史をさかのぼり、これからの構図を考える医師会の政治力を象徴する人物が、第11代会長の武見太郎です。「ケンカ太郎」の異名で知られ、25年・13期にわたって会長を務め、全国一斉休診も辞さずに厚生省と徹底的に対決し、医師会のみならず歯科医師会・薬剤師会にも影響を及ぼして「武見天皇」とまで呼ばれました。その妻は元内大臣・牧野伸顕の孫娘で、吉田茂元首相の主治医も務めるなど政界との太いパイプを持ち、それが強い政治力につながりました。閨閥と気骨が、当時の絶大な影響力を支えていたのです。しかし、その力は今や陰りを見せています。かつて1977年には組織内候補が127万票を集めた時代もありましたが、2010年に医師会が自民党支持から民主党支持へ動いた際には組織が分裂し、候補3人が全員落選するという失敗も経験しました。そして直近では、票の力が大きくしぼんでいます。2025年の参院選で組織内候補の釜萢敏氏が初当選したものの、その得票はおよそ17万4400票にとどまり、かつて「けんか太郎」の息子で厚労相も務めた武見敬三氏は議席を失いました。なお武見敬三氏自身は医師ではなく、大学で政治学を学んだ人物で、医療界のサラブレッドという血筋に支えられてきた政治家でした。医師の世界も一枚岩ではありません。開業医の院長が激務の勤務医より平均収入が高いといった構造への不満、世代間の意識のずれ、医療系の他団体との票の奪い合い。こうした内側のきしみが、かつての結束を弱めています。それでも、診療報酬という「医療の値段」をめぐる利害が消えない限り、医師会と政治の結びつきが完全になくなることはないでしょう。これからの焦点は、その影響力をどう透明にし、医療費の合理性とどう折り合いをつけていくかにあります。私たちが払う保険料と税金の使い道に直結する話だからこそ、関心を持ち続ける意味があるのです。参考文献日本医師会の正体 なぜ医療費のムダは減らないのか(東京新聞編集委員による著作、医療費・診療報酬と医師会の政治力を論じたもの) 東京新聞デジタル「医療の値段」連載(票とカネ、診療報酬の決定過程をめぐる調査報道) 現代ビジネス、ダイヤモンド・オンライン(日本医師連盟の政治献金とパーティー券に関する報道) 武見太郎に関する記録(コトバンク掲載の人名事典、日本医師会「戦後50年のあゆみ」、Wikipedia ほか) 時事通信、日経メディカル、m3.com(第27回参議院議員選挙の開票結果と医療系組織票の分析) 厚生労働省 中央社会保険医療協議会(中医協)の委員構成と診療報酬改定に関する制度資料