「会社は利益を産むためにある」。この言葉を疑う経営者は少ないでしょう。株主への説明責任、金融機関との関係、事業の継続性——どこを切っても、利益は経営の最重要指標として機能しています。決算発表の場で、投資家に向かって「わが社は利益より意義を優先します」と言い切れる経営者が、はたして何人いるでしょうか。現実の経営において、利益は空気に似ています。なければ死ぬ。しかし、空気を吸うことそのものが人生の目的ではない。問題は、この単純な順序が、長期にわたる経営の現場でしばしば逆転することにあります。利益を確保するための手段だったはずのものが、いつのまにか目的に化ける。そのとき組織に何が起きるか——それは経営者が最もよく知っているはずです。社員の目から光が消え、顧客への関心が薄れ、数字を達成するためだけの行動が増えていく。会議室では利益目標の話ばかりが続き、「なぜその仕事をするのか」という問いが消えていく。この考察は、利益の否定ではありません。利益と会社の目的の関係を、経営者の視点から改めて整理し直すための試みです。答えを押しつけることが目的ではありません。読み終えたとき、あなた自身の経営観が少しだけ更新されていれば、それで十分です。一般論、利益は経営の生命線まず、利益重視の論理を誠実に整理しておきます。この命題を支える根拠は、実践的な立場から見て3つに整理できます。1つ目は、生存の論理です。給与・設備更新・借入返済・仕入れ——これらはすべて利益を原資とします。利益がゼロ以下の状態が続けば、いかに優れた理念を掲げていても、会社は立ち行かなくなります。資金繰りの問題は、経営判断を根底から狂わせます。崇高なパーパスも、キャッシュがなければ実行できません。これは反論のしようがない経営の現実です。2つ目は、資本の論理です。株式会社は、株主から資本を預かって事業を営む仕組みです。出資者はリターンを期待してリスクを取っています。経営者はその期待に応える責任を制度として負っており、利益を最大化することが経営者の正当な役割だという考え方です。経済学者のミルトン・フリードマンが1970年に「企業の社会的責任は利益を増やすことだ」と論じて以来、株主価値最大化は20世紀後半の経営の正統的思想となりました。これを単純に否定することは、資本主義の根幹を揺るがします。3つ目は、社会還元の論理です。会社が利益を上げれば、法人税として国庫に入り、インフラや社会保障に使われます。配当は株主を通じて消費・投資に回り、内部留保は将来の雇用と研究開発を支えます。利益を生む企業が多い社会は、構造的に豊かになります。これが資本主義の基本的なメカニズムです。この3つの論理は、いずれも合理的であり、歴史的に機能してきました。日本の高度成長期も、米国のテクノロジー産業の台頭も、利益を追求する企業が経済を牽引した事実を否定することはできません。計画経済が利益概念を排除し、最終的に機能不全に陥ったことも、経営者なら知っておくべき歴史です。繰り返しますが、利益は「悪」ではありません。利益を上げることへの負い目は不要です。問われるのは、利益との向き合い方です。利益を「産むべき目標」として掲げるのか、「正しく動いた結果として生まれるもの」として捉えるのか。この違いは経営の哲学の問題であり、日々の意思決定の質に直結します。次章からは、その向き合い方に潜む問題と、その先にある思考について踏み込んでいきます。疑問の核心、目的と結果を混同していないかここで一度、経営者として冷静に問い直してほしいことがあります。利益は「目的」なのか、それとも「結果」なのか、という問いです。優れた製品を作り、顧客の問題を解決し、社員が誇りを持って働ける環境を整える。その活動が正しく機能したとき、利益は自然に生まれます。これが「結果としての利益」です。一方、利益目標を先に設定し、そこから逆算してコストを削り、売上を積み上げる。これが「目的としての利益」です。両者は似て非なるものです。結果としての利益を追求する会社は、顧客や社員や社会との関係を強化しながら成長します。目的としての利益を追求する会社は、短期的には数字を作れても、長期的には顧客の信頼を失い、社員の士気を削ぎ、社会との関係を損なっていきます。2019年、米国の大手経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」がこの問題に明確な答えを出しました。アマゾン、アップル、JPモルガン、ゼネラルモーターズ、ジョンソン・エンド・ジョンソンなど約180社のCEOが連名で、「株主価値の最大化」を唯一の目標とする経営観を公式に放棄したのです。この声明が注目を集めたのは、署名者の顔ぶれだけではありません。ビジネス・ラウンドテーブルはもともと、1970年代にフリードマンの株主価値至上主義を積極的に支持してきた団体です。その団体が自ら方針を転換したことは、単なる流行やPR活動ではなく、米国の主流経営思想そのものの転換を意味していました。声明の内容も具体的です。従業員には公正な報酬と教育機会を提供すること、顧客の期待に応える製品とサービスを届けること、サプライヤーを公正に扱うこと、地域社会の環境と人々を尊重すること、そして株主には長期的な価値を提供すること——この5つをすべて同等に重要なコミットメントとして掲げました。フリードマンの論考から約50年、「利益を産むことが会社の使命だ」という命題は、その発祥の地である米国の経営者たちによって、ついに問い直されたのです。日本でも、パーパス経営の実践が広がっています。パーパスとは「存在意義」です。ソニーグループが掲げる「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」という言葉は、利益ではなく社会との関係性を起点に置いた経営の姿勢を示しています。数値目標より先に「なぜ我々は存在するのか」を問う経営者が、着実に増えています。資本市場も変化しています。2022年時点で世界のESG関連運用資産残高は30兆ドル(約4,500兆円)を超えており、環境・社会・ガバナンスへの対応なしには機関投資家からの資金調達が難しくなっています。利益だけを追う会社が、皮肉にも資本市場から評価を失いつつある——これは経営者として直視すべき現実です。さらに言えば、優秀な人材の獲得競争においても同じ変化が起きています。特に30代以下の世代は、給与水準と同等かそれ以上に「この会社で何ができるか」「この会社は社会に何を残しているか」を就職・転職の判断基準にするようになっています。利益を産む機械として機能することを求める会社には、次世代の優秀な人材が集まりにくくなっています。パーパスを語れる会社が採用でも優位に立つ——これもまた、経営者が向き合うべき現実の変化です。利益最大化が会社を壊す「利益を産むこと」を至上命題にした会社が、長期的に自分自身を傷つけていく逆説は、事例として枚挙にいとまがありません。短期利益を最大化する最も手っ取り早い方法は、コストを削ることです。人件費の圧縮、品質管理費の削減、研究開発投資の先送り、仕入先への値引き要求——これらは短期の財務数値を改善します。しかし中長期では、優秀な人材の離反、製品品質の劣化、イノベーション力の低下、サプライチェーンの疲弊を招きます。経営者が数字の改善を喜んでいるあいだ、会社の競争力は静かに失われていきます。東芝の不正会計問題は、2015年に発覚し、累計1,500億円超の利益水増しが明らかになりました。「チャレンジ」という名の社内圧力のもと、利益目標の達成が自己目的化した結果、組織全体が数字を作ることに傾いていきました。日産自動車の品質検査不正も、効率と利益への偏重が積み重なった帰結です。2001年に経営破綻した米エンロンは、利益最大化のために会計操作を繰り返し、最終的に会社そのものを消滅させました。これらは特殊な事例ではありません。利益を至上命題にした組織の行き着く先を、繰り返し示しています。この構造を体温計の比喩で表現するこもできます。体温計の数値が高いことは健康の証拠かもしれない。しかし「体温を上げること」を目標にした瞬間、医療行為は狂い始める。利益も同じです。利益が出ていることは、会社が正しく機能している証拠かもしれません。しかし「利益を産むこと」が目標になった瞬間、組織は数字を作るための行動を始めます。もう一点、経営者として認識しておくべきことがあります。会計上の「利益」は、じつは極めて人工的な数字です。減価償却の方法、棚卸資産の評価基準、引当金の積み方、のれんの処理——これらの判断次第で、同じ事業活動をしていても利益の数字は大きく変わります。「利益を産むためにある」と言うとき、その「利益」が何を指しているのか、実は定義すら曖昧なのです。そもそも会社とは何か、その概念を問うここから先は、少し視座を高くします。「会社は利益を産むためにある」という命題を問い直すには、「会社とは何か」という問いそのものに向き合う必要があります。株式会社という仕組みは、17世紀のオランダで生まれました。1602年に設立された東インド会社がその始まりとされています。航海という巨大なリスクを多くの出資者で分散し、遠洋貿易の利益を享受する——これが設計思想でした。つまり株式会社は最初から、特定の目的のための「道具」です。リスク分散と利益共有のための、法的なプラットフォームです。しかし現代の株式会社は、17世紀の設計思想をはるかに超えた存在になっています。数万人・数十万人の雇用を抱え、地域インフラを支え、文化を形成し、環境に巨大な影響を与え、国家政策にまで影響を及ぼします。アップルやアルファベット(グーグルの親会社)の時価総額は、多くの国家のGDPを上回ります。17世紀の「道具」の論理で、21世紀の会社を語ることには根本的な無理があります。経営者として問い直してほしいのは、「自分が率いているこの組織は、何のために存在しているのか」という問いです。法人登記の目的欄に書かれた事業内容ではありません。創業者が最初に抱いた動機でもありません。今この瞬間、自社が社会に果たしている役割、社員が毎朝出社する理由、顧客が選び続ける根拠——そこに「存在の意味」があります。その意味を言語化し、組織全体で共有し、意思決定の基準にすること。それがパーパス経営の本質であり、経営者にしかできない仕事です。コーポレーションが個人のように振る舞うことの危険性のを警告もあります。会社は法律上「法人」として人格を持ちますが、人間と同じ道徳的責任を担える存在ではありません。会社は死を恐れず、感情を持たず、罰せられても痛みを感じない。このような存在が「利益を産むこと」を唯一の行動原理とするとき、人間の倫理では決して行わないようなことが、組織の合理として正当化されていきます。これは抽象的な哲学の話ではなく、経営現場で実際に起きていることです。近年の人類史研究が示すように、株式会社も国家も貨幣も、人々の集合的な合意によって成立している「フィクション」です。会社という存在に私たちが意味を与えているという視点に立てば、「会社は利益を産むためにある」という命題は、ある時代が選び取った「物語」のひとつにすぎません。フィクションは書き換えられます。どの物語を選ぶかは、経営者が決めることができます。日本に業歴100年以上の企業が3万社を超え、世界でも突出した数を誇る事実も、この文脈で捉え直す価値があります。これらの長寿企業に共通しているのは、利益最大化への執着ではありません。「家業を守る」「地域に根ざす」「技と精神を次世代に伝える」という、利益とは別の軸の強さです。利益に振り回されないことへの覚悟が、逆説的に百年企業を生み出しています。経営者が問い直すべきことでは、「利益を産むためにある」のではないとすれば、会社は何のためにあるのでしょうか。経営の古典的な知見の中に、「会社の目的は顧客の創造だ」という考え方があります。まだ満たされていないニーズを発見し、それを満たす製品やサービスを生み出し、顧客の生活に新しい価値を届ける。利益はその活動が正しく行われたときに生まれる「結果」であって、目的ではない——この視点は、20世紀の経営思想の根幹を流れる考え方です。また「利益とは、会社の存在を正当化する条件ではなく、将来の費用だ」という言葉も、経営の本質を突いています。利益は明日・来年・10年後に会社が社会への貢献を続けるために必要な資本であって、利益そのものが目的ではない。利益は「産むもの」ではなく「次の活動のための準備」です。この順序を正しく持つことが、持続する経営の条件です。会社が本当に産むべきものは何か。それは、顧客の問題の解決であり、社員が誇りを持てる仕事であり、社会からの信頼です。その活動が持続するために利益が必要です。この順序が逆になったとき——利益を産むために顧客・社員・社会が手段として扱われるようになったとき——会社は内部から崩れ始めます。それは財務数値には表れにくい崩れ方なので、経営者が自分で気づくことが難しい。だからこそ、意識的に問い続ける必要があります。現代のスタートアップがこの考え方と共鳴していることも注目に値します。シリコンバレーの多くの新興企業は、創業から数年にわたって赤字を続けながら、ユーザー数・社会的影響力・技術への信頼を積み上げることを優先します。短期的な利益より、長期的な存在意義を先に確立しようとするのです。これは夢想ではなく、利益とは「将来の活動のための費用であり準備だ」という考え方の実践です。世界ではB Corp(ベネフィット・コーポレーション)認証が広がっています。財務的な利益だけでなく、社会・環境への影響を法的な責任として組み込んだ会社の形です。パタゴニア、ベン&ジェリーズ、国内でも認証企業が増えています。これはCSR活動の延長ではなく、会社の「目的」の定義そのものを変えようとする動きです。経営者が「何のために会社を動かすか」を、改めて問い直す潮流です。問い続ける経営者だけが生き残る「会社は利益を産むためにある」という命題を、長い間、多くの経営者は疑わずに受け入れてきました。それはある時代の論理として、一定の正しさを持っていました。利益なき会社が持続しないことも事実です。これは変わりません。しかし今、この命題は問い直されています。ビジネス・ラウンドテーブルの声明も、パーパス経営の台頭も、ESG投資の拡大も、百年企業の長寿の秘訣も——すべてが同じ方向を指しています。会社は利益を産む「装置」ではなく、社会の中で意味のある役割を果たし続ける「存在」として捉え直される時代に入っています。利益の重要性は変わりません。しかし、その利益が何のためにあるのか。誰のためにあるのか。会社はそもそも何者なのか。これらの問いを持ち続けることが、これからの経営者には求められます。経営者が「利益のため」と口にするとき、その言葉が社員にどう届くか考えてみてください。利益のために働くよう求められた社員は、給与のために働くだけです。一方、「この会社が存在する意味」を語られた社員は、自分の仕事に意味を見出し、創意工夫を始めます。顧客への向き合い方が変わり、同僚との連携が変わり、やがて組織の文化そのものが変わっていきます。パーパスを語ることは、精神論でも理想論でもなく、組織の実行力を変える実践的な経営行為です。問い続ける経営者は、時代が変わっても判断の軸を失いません。問いをやめた経営者は、利益が出ているあいだは順調でも、やがて会社を社会から必要とされない場所に連れていくでしょう。利益を産むことは、経営の出発点ではなく、使命を果たし続けるための燃料です。燃料を目的地と取り違えたとき、会社は道を失います。目的地を正しく定めた会社だけが、どんな経営環境でも走り続けることができます。参考文献Milton Friedman, "The Social Responsibility of Business Is to Increase Its Profits", The New York Times Magazine, 1970年9月13日Business Roundtable, "Statement on the Purpose of a Corporation", 2019年8月19日Peter F. Drucker, "Management: Tasks, Responsibilities, Practices", Harper & Row, 1974年Peter F. Drucker, "The Practice of Management", Harper & Row, 1954年Charles Handy, "The Hungry Spirit: Beyond Capitalism", Hutchinson, 1997年Yuval Noah Harari, "Sapiens: A Brief History of Humankind", Harper, 2015年(日本語版:河出書房新社、2016年)東芝第三者委員会調査報告書、2015年7月Global Sustainable Investment Alliance, "Global Sustainable Investment Review 2022"John Dewey, "The Public and Its Problems", Henry Holt and Company, 1927年B Lab, "B Corp Certification Overview", 2024年