「彼女」という言葉が生まれる前の日本語現代の私たちにとって、「彼女」は日常的な言葉です。「彼女は元気ですか」と聞けば、特定の女性のことを指し、文脈によっては恋人を意味することもあります。しかしこの言葉、実は日本語としての歴史はそれほど長くありません。もともと日本語に「彼女」という表現は存在しなかったのです。では、明治以前の日本人はどのように「あの女性」を指し示していたのでしょうか。古来の日本語では、「彼(かれ)」という言葉が男女を問わず「あの人」を意味していました。現代語で「彼氏」や「彼女」と使い分けているような性別の区別は、もともと言語の構造として必要とされていなかったのです。話し相手との関係性や文脈の中で、誰のことを指しているかが自然に伝わる文化だったとも言えます。また、身分や職業に応じた呼称が豊富に存在していたため、「あの御方」「あの方」「あの女子(おなご)」といった言い方で十分に意思疎通ができていました。性別を明示する三人称代名詞の必要性が、さほど高くなかったのです。この状況を大きく変えたのが、明治時代に押し寄せた西洋文化の波でした。黒船より怖い? 英語の「she」との遭遇明治維新以降、日本は急速に西洋化を進めます。その流れの中で、膨大な量の西洋文学や学術書の翻訳が必要になりました。英語をはじめとするヨーロッパ諸語には、性別を区別した三人称代名詞が存在します。英語であれば「he(彼)」と「she(彼女)」、フランス語であれば「il(彼)」と「elle(彼女)」というように、男性と女性をはっきりと区別して指示する言葉が使われています。翻訳者たちは困り果てました。英語の文章に「he said, she said」と書いてあっても、日本語には「she」に対応するぴったりした言葉がないのです。「あの女は言った」と書けば意味は通じますが、原文の三人称代名詞としての機能を自然に果たせるわけではありません。繰り返し登場するたびに「あの女は」「その女は」と書くのも、文章の流れとして不自然です。そこで翻訳者や文学者たちは新しい言葉を作ることを考えます。「彼(かれ)」を男性の三人称として確定させ、女性の三人称には「彼女(かのおんな)」を当てるという発想が生まれました。「かのおんな」が転じて「かのじょ」となり、やがて「彼女」という表記と読み方が定着していきます。これは日本語が外来の概念を吸収するために、既存の素材から新しい言葉を創出した、非常に興味深い言語的事件でした。お豊さんの登場 文献上の「彼女」最古の記録では、活字として記録された中で、最初に「彼女」と書かれた人物は誰なのでしょうか。現在の研究によれば、それは坪内逍遥の小説に登場する揚弓場(やきゅうば)の女中、お豊という女性だとされています。坪内逍遥が執筆したのは1885年から1886年頃のことで、明治時代の中期にあたります。坪内逍遥は、日本近代文学の父とも呼ばれる人物です。『小説神髄』という評論で文学の近代化を論じ、西洋文学の精神を日本に持ち込もうとした先駆者でした。彼の作品に登場するお豊は、揚弓場という場所で働く女性として描かれています。揚弓場とは、弓を射て的を狙う庶民の遊技場のことで、江戸時代から明治にかけて各地に存在した娯楽施設です。射的場のような雰囲気の場所で、飲食や接待を伴うこともありました。そこで働く女中として、お豊は物語の中に登場しています。逍遥がこの作品で「彼女」という表現を使ったのは、まさに彼が翻訳や西洋文学に深く通じていたからこそでした。英語の「she」に対応する日本語表現として、この新しい言葉を自然に取り入れたのです。もちろん、これは記録に残っている最古の例であって、誰かが口頭で最初に「彼女」と言った瞬間を特定することは不可能です。あくまでも文献・活字として確認できる範囲での最古の記録が、このお豊なのです。お豊が「彼女」と呼ばれたとき、その言葉にはまだ現代のような「恋人」というニュアンスはありませんでした。ただ純粋に「あの女性」「その女性」という三人称代名詞として使われていたのです。一人の庶民の女性が、意図せず日本語の歴史に名を刻むことになったという点で、とても印象的な話です。キリスト教と男性名刺・女性名刺の意外な関係「彼女」という言葉の成立には、翻訳の必要性だけでなく、もう一つ重要な背景があります。それは明治時代におけるキリスト教の布教と、その過程で生まれた文語体の聖書翻訳です。明治時代に来日した宣教師たちは、聖書を日本語に翻訳する作業を進めました。聖書の文章には、神や人物を三人称で指し示す場面が無数に登場します。特に「彼(he)」と「彼女(she)」の区別は、翻訳上どうしても必要なものでした。宣教師たちと協力した日本人の翻訳者たちは、この問題に真剣に向き合い、「彼女」という表現の定着に一役買ったと考えられています。また、文法的な観点からも興味深い動きがありました。西洋語の文法を日本語に当てはめようとする試みの中で、名詞や代名詞を「男性」「女性」「中性」に分類するという発想が持ち込まれました。これを日本の文法学者たちは「男性名詞・女性名詞」という概念として紹介し、言語の性別を意識する素地が作られていきました。フランス語やドイツ語では名詞そのものに性別がありますが、日本語にはその仕組みがないため、あくまでも翻訳や文法教育の文脈での話です。しかし、「言葉に性別がある」という西洋的な発想が、「彼」と「彼女」の使い分けをより意識させることにつながりました。キリスト教の宣教活動が盛んだった明治時代、教会学校や聖書の学習を通じて多くの日本人が新しい言葉に触れました。「彼女」という表現も、こうした宗教的・文化的な接触を通じて少しずつ社会に浸透していったのです。信仰の言葉が、日常語の変化を促したという点で、宗教と言語の関係を考える上でも興味深い事例と言えるでしょう。「彼女」が恋人になるまで、そして「彼氏」誕生の謎明治中期に文学作品の中で生まれた「彼女」は、その後どのような変遷をたどったのでしょうか。実は、「彼女」が現代のように「恋人(ガールフレンド)」を意味するようになったのは、かなり後のことです。明治時代から大正時代にかけて、「彼女」は主に文学作品や翻訳文の中で使われる、やや硬い三人称代名詞でした。口語として一般の人々が日常会話で頻繁に使うような言葉ではなかったのです。それが変わり始めるのは大正時代から昭和初期にかけてのことです。この時期、大正デモクラシーの風潮の中で個人の恋愛が文学や文化の主要テーマとなり、「彼女」という言葉が恋愛感情を伴った意味合いを帯びるようになっていきます。女性を指す三人称代名詞が、親密な関係を持つ特定の女性を指す言葉へと意味を広げていったのです。そして「彼氏」という言葉の誕生については、さらに面白いエピソードがあります。「彼女」に対応するはずの「彼氏」ですが、実はこちらの方が後から生まれた造語です。落語家・漫談家として活躍した徳川夢声が、1929年頃に「彼氏」という言葉を作ったとされています。彼は「彼女」に対応する男性形として「彼氏」を考案し、これが次第に広まっていきました。「彼女」が先にあって、「彼氏」が後から作られたというのは、言葉の歴史として非常に興味深い順番です。語感から言えば「彼氏・彼女」はセットのようですが、実際には数十年の開きがあったのです。さらに言えば、「彼女」が恋人の意味で一般化したのが大正から昭和初期であり、「彼氏」の誕生が1929年頃であれば、ほぼ時代を同じくして「カップルを指す言葉」のセットが完成したことになります。こうして振り返ると、坪内逍遥の作品に登場したお豊さんが「彼女」と呼ばれた1885年頃から、その言葉が恋人を意味するようになるまでに、実に半世紀近い時間がかかっています。そして今や「彼女ができた」「彼氏と別れた」という言い方は、日本語の中で完全に市民権を得ています。一つの翻訳上の必要から生まれた言葉が、人々の感情や関係性を表す豊かな言葉へと育っていった歴史は、言語の生命力を感じさせてくれます。明治の翻訳者たちは、英語の「she」に対応する言葉を必死に探していました。その試みが生んだ「彼女」という言葉が、今では恋愛を語る上で欠かせない存在になっているのです。揚弓場で働いていたお豊さんも、まさか自分が日本語史に登場する最初の「彼女」になるとは思ってもいなかったことでしょう。言葉は人が使う中で意味を変え、文化とともに成長していきます。「彼女」という言葉一つをたどるだけで、明治という激動の時代と、日本語の豊かな変化の歴史が見えてくるのです。参考文献・坪内逍遥『当世書生気質』(1885~1886年) ・坪内逍遥『小説神髄』(1885年) ・山田孝雄『国語の中に於ける漢語の研究』 ・惣郷正明・飛田良文編『明治のことば辞典』東京堂出版(1986年) ・飛田良文他編『明治大正新語俗語辞典』東京堂出版(2002年) ・松井利彦『近代語の成立』明治書院(1969年) ・徳川夢声関連資料(昭和初期漫談・エッセイ) ・日本聖書協会編訳聖書翻訳史資料 ・国立国語研究所「近代語コーパス」関連論文