ガバメントAIで試用する国内大規模言語モデル(LLM)の公募結果デジタル庁から経緯情報が出たので少し考えてみた。2026年3月6日、デジタル庁からひとつの発表がありました。政府が主導するガバメントAI「源内(げんない)」において試用する国産大規模言語モデル(LLM)として、7件が選定されたという公募結果です。NTTデータ、KDDI・ELYZA、ソフトバンク、NEC、富士通、Preferred Networks、そしてカスタマークラウドという顔ぶれを見たとき、よしよしと言う思いと、あれれと言う思いが交錯することに。なぜ国産なのか。そもそもGPTやClaudeといった海外の高性能モデルが既に手の届くところにある中で、わざわざ日本企業のAIを育てる意味はどこにあるのか。AIブーム当初はそんな疑問はあったのですが、すぐに「これはまずいかも」と危機感を抱いた訳です。さらに、この問いの奥に、もっと深いものが見えてきた気がするのです。では進めます。一神教の国と、八百万の神の国この世界を考えるとき、地政学と宗教観と種族観が根底中の根幹だと思うのです。ここでは一旦地政学は置いておきますが、アメリカは、ある意味で一神教的な構造を当然持っています。「唯一最強のモデルがすべてを制する」という発想、プラットフォームを握った者が市場を独占するという秩序、そこには一つの神が世界を統べるという発想と、どこか似たものを感じます。OpenAI、Google、Anthropic、そういった巨人たちが最先端を走り、世界中の人々がその傘下に入る。それはそれで合理的な姿かもしれません。彼らはリベラルな姿勢や発言をしていますし、各国の国民性などはモデルに学習させてはいますが、奥の奥の根幹では宗教観と種族観の源流を大きな時間軸で持ちつつ、AIのパラメータを調整しているのです。日本には、八百万の神がいます。山にも、川にも、台所にも、道端の石ころにも、神は宿る。この感性は、神道だけでなく、仏教的な万物への敬意とも重なり、日常の道徳観にも深く染み込んでいます。「お天道様が見ている」「ものを大切に」「他者を慮る」――そういった価値観は、テクノロジーの設計にも影響を与えるはずです。現在AIになんでも相談していますが、その会話のやり取りにはAI巨人企業の思想が我々に少しずつ染み込んでいっています。まあアニメでは我々が逆のことをやっているのですが。話を戻しますが、国産LLMを作るということは、単に日本語の性能を上げるということではなく、日本の価値観、日本人の感性、日本社会が大切にしてきた倫理観を、AIの「核」の部分に組み込むということだと、思っています。それは技術の問題ではなく、日本人の未来像の問題と深く繋がっていくのです。ポジティブに読み解く、自律性という財産デジタル庁の発表文には「AIに関する日本の自律性確保」という言葉が出てきます。この一文に大きな意義を感じます。エネルギー、食料、安全保障――これまでも日本は「自律性」を国家的課題として議論してきました。AIも、これらと同列に語られるべき基盤技術になっているのです。例えば機密性の高い行政文書をAIで処理するとき、その推論がアメリカのサーバー上で動いていることへの懸念は、決して些細ではありません。ガバメントクラウド上で動作することを選定基準の一つとしたこの公募は、まさに「データ主権」という観点から見ても正しい方向性だと思います。情報は国境を越えますが、推論の場所は選べる。その選択肢を持つことが、国家の品格でもあります。また、「行政現場からのフィードバックによる国産AIの性能向上」という視点も面白いです。政府が単なる消費者ではなく、共同開発のパートナーになるという発想です。霞が関の実務で使われることで、日本語の行政文書特有の言い回し、法令の解釈、慣行的な表現といったデータが蓄積されていく。それはOpenAIには真似できない、日本固有の強みになり得ます。ネガティブを直視する、茨の道もちろん、厳しい現実も見据えなければなりません。選定された7モデルの中に、GPT-4oやClaude 3.5 Sonnetと同等の汎用性能を持つものがあるかといえば、現時点では難しいです。ベンチマークの数字は着実に伸びていますが、創造性、複雑な推論、多言語対応という点では、まだ開きがあります。そもそも大規模言語モデルの開発には、膨大な計算リソースが必要です。Meta、Google、Microsoftが注ぎ込んでいる何兆円という投資額と比べると、日本企業の規模はどうしても見劣りします。「国産」というラベルを守るために性能を妥協するなら、それは本末転倒でしょう。使われないAIは、いくら国産でも社会に貢献しませんし。さらに、選定基準に「令和8年度中は無償で試用できること」という条件があります。これはスタートアップにとって重い条件です。カスタマークラウドのような比較的小さな会社が入っていることに驚き、そして応援したい気持ちになりましたが、長期的に持続できる事業モデルを描けるか、注視が必要です。7社の顔ぶれを読み解く選定された7件を改めて眺めると、それぞれの戦略が時に露骨なまでに透けて見えてくるような。NTTデータの「tsuzumi 2」は、NTTグループ全体のAI戦略の文脈にあります。「tsuzumi(鼓)」というネーミング自体が日本文化へのリスペクトを感じさせますし、NTTドコモや地域通信網との連携で、行政系・公共系のシステムインテグレーションに強みを発揮するでしょう。ただ、深読みすれば、これはNTTグループが長年築いてきた「官との太いパイプ」を、AIという新戦場でも維持・強化するための布石とも見えます。技術力というより、関係資本(リレーショナル・キャピタル)の勝利という側面は否定できません。政府調達という閉じた市場において、「知っている顔」が有利なのは今も昔も変わらない現実です。KDDI・ELYZAの共同体による「Llama-3.1-ELYZA-JP-70B」は、Metaのオープンモデルをベースにしながらも日本語特化でチューニングした派生モデルです。「国産か派生か」という選定基準の議論を乗り越えて選ばれたことは、「日本語への適合性と実用性」を正直に評価した審査の姿勢を示していると思います。ELYZAはもともと東大発スタートアップであり、日本語LLMの研究最前線にいます。辛辣に言えば、KDDIはスタートアップの研究力を「傘」にすることで、自社単独では届かなかった技術的正当性を購入した格好です。ELYZAにとっても、大手通信キャリアの調達力と販売網は喉から手が出るほど欲しいリソース。互いの弱点を補う政略結婚的な連合であり、その合理性の高さゆえに、逆に「純粋な技術競争」の文脈では少々アンフェアとも映ります。ソフトバンクの「Sarashina2 mini」は、「更科(さらしな)」という蕎麦や地名を想起させる、実に日本的なネーミングです。しかしその裏側を覗けば、ソフトバンクほど「AIの全方位外交」を徹底している企業は世界を見渡しても稀です。NVIDIAとは計算インフラで深く結びつき、さらにOpenAIとは孫正義氏が個人的な関係を含む形で長年の投資・提携関係を持ちます。2024年末には1000億ドル規模の米国AI投資を宣言し、OpenAIとの共同事業「Stargate」にも深く関与しています。この文脈で「Sarashina2 mini」を眺めると、意味合いが変わってきます。ソフトバンクは今や、OpenAIという「西側のAI覇者」と、自社開発の国産LLMという「国内向けの顔」を同時に持つ、二枚看板戦略の使い手です。政府調達の場では国産モデルを前面に立て、グローバル市場ではOpenAIとの連合を武器にする——この使い分けは非常に巧みであり、同時に「どちらが本命か」という問いを曖昧にし続けることで、両方の市場から利益を引き出す高度な政治的ポジショニングとも言えます。「mini」というサフィックスが示す軽量・低コスト志向は、自治体や中小規模省庁への展開を見据えた実用志向の選択でしょう。しかし穿った見方をすれば、「miniで先に行政システムに食い込み、後でOpenAI連携の上位サービスへの移行をセールスする」という段階的な市場獲得戦術の一手目とも読めます。孫正義流の「まず入れてしまえ、そして生態系ごと取り込む」戦略は、このLLM調達においても健在——いや、かつてなく洗練されているかもしれません。NECの「cotomi v3」は、NECが独自に開発を続けているモデルです。NECはサイバーセキュリティ、生体認証、社会インフラに強みを持つ企業であり、「政府向け」という文脈では信頼性と実績が最大の武器です。地味に見えるかもしれませんが、実は最もガバメントとの相性が良いかもしれません。辛辣に言えば、NECほど「お役所体質と戦略的に共鳴できる企業」は他にないとも言えます。派手さはなくとも、調達担当者が稟議を通しやすい「前例と実績」という免罪符を持つ企業。イノベーションの評価より「何かあった時に誰に責任を取らせるか」という発想が根強い組織では、NECという選択は究極のリスクヘッジです。富士通の「Takane 32B」は、「高嶺(たかね)」という山の頂を意味する名前が印象的です。富士通は長年、官公庁のシステムを支えてきた歴史があります。32Bというパラメータ規模は、クラウド上での推論コストと性能のバランスを意識した選択でしょう。老舗の底力を感じます。ただ、老舗ゆえの影もあります。富士通はここ数年、国内外でのリストラと事業再編を繰り返してきた企業です。「Takane」という名に込められた意志——高みを目指すという宣言——は、技術への矜持であると同時に、自社の復権をかけた社内外へのメッセージとも受け取れます。LLMは富士通にとって、過去のメインフレーム事業の栄光を令和に取り戻すための象徴的な戦場なのかもしれません。Preferred Networksの「PLaMo 2.0 Prime」は、この中で最も「純粋なAI研究機関」的な色彩を持っています。深層学習の研究で世界的に知られるPFNが、本格的な言語モデルに参入したことは、日本のAI研究の底上げという点で非常に意義があります。しかし現実的な目線を加えれば、PFNはこれまでロボティクスや自動運転に集中してきた企業であり、汎用LLMは必ずしもコアコンピタンスの延長線上にありません。今回の政府採択は、研究実績の証明であると同時に、「次の資金調達と事業拡張に向けたシグナル」としての意味も大きいでしょう。国の太鼓判は、民間投資家への最強の説得材料になります。カスタマークラウドの「CC Gov-LLM」。15件の応募の中から大手の壁を破って選ばれたこのモデルは、特別な意味を持ちます。名前の通り、ガバメント特化で作り込んだ専用モデルということでしょうか。大企業ではない組織がここに食い込んだことは、日本のAIエコシステムの多様性を示す希望の灯だと思います。深読みすれば、「Gov-LLM」というあまりにも直球な命名は、審査委員へのメッセージそのものです。「我々はこのためだけに作った」という特化の宣言は、汎用性を売りにする大企業モデル群の中で、最も明確な差別化軸となりえます。大企業が「政府にも使えます」と言う中、唯一「政府のためだけに作りました」と言い切った——その胆力と戦略眼こそが、選定委員の心を動かした本質ではないでしょうか。戦略的ポジティブという視点ここで大切にしたいのは、「戦略的ポジティブ」という視点です。これはただの楽観主義ではありません。現実の制約を冷静に認めながらも、その中に可能性の芽を見つけ、意図的に水をやるという姿勢のことです。日本の半導体産業は一度、世界の覇権を失いました。しかし今、熊本へのTSMC誘致、ラピダスの設立、素材・製造装置での競争力維持と、日本は静かに、しかし確実に再構築を図っています。AIも同じ道筋をたどる可能性がある。政府調達という「安定した需要」を作ることで、企業は研究開発への投資を続けられます。行政現場というリアルなユースケースでのフィードバックが、モデルを鍛えます。そして何より、「日本の価値観に基づいたAI」という差別化軸が、グローバル市場でも意味を持ち始めるかもしれない。アジア各国、あるいは欧米でも「欧米巨人のAIに一極依存したくない」という需要は確実にあります。守りたいもの、という問いに向き合う国産AIを作る本当の理由は、性能でも競争力でもなく、「守りたいもの」があるからだと思っています。例えば、日本語の繊細さ。「空気を読む」「間を大切にする」「相手を慮る言葉を選ぶ」――こうした日本語特有のコミュニケーション文化は、単語の翻訳では伝わらない次元にあります。英語を主軸に学習したモデルが、この微妙なニュアンスを行政の現場で再現できるか。官僚の書く文章の「格調」、市民に寄り添う「やさしい日本語」、法令用語の「厳密さ」、これらを使い分ける能力は、国産モデルが真剣に取り組むべき領域です。また、倫理観という問題もあります。「個人情報はできるだけ持たない」「目上の人への敬意」「集団の和を乱さない」といった日本的な規範は、AIの振る舞いの設計にも影響します。ハラスメントへの感度、差別的表現の判断基準、政治的中立性の解釈――これらは文化によって異なります。日本人が「不快」と感じるものと、アメリカ人が「不快」と感じるものは、完全に一致はしません。だからこそ、八百万の神の国には、八百万の視点を持ったAIが必要です。一つの正解を絶対的に押しつけるのではなく、多様な文脈の中で最善を探る柔軟性。それは日本人が長い歴史の中で磨いてきた、和の精神そのものではないでしょうか。プロジェクト名に込められたものデジタル庁がこのプロジェクトに「源内(げんない)」という名をつけたことに、私は何かを感じました。平賀源内は、江戸時代の発明家・蘭学者・戯作者です。エレキテルを復元し、火浣布(石綿布)を作り、朝鮮人参の栽培を試み、「土用の丑の日」のキャッチコピーを作った人物でもあります。源内が生きた時代は、日本が西洋の知識を貪欲に吸収しながら、独自の文化と融合させていた時代でした。和漢洋の垣根を越えて知を集め、日本という土壌に根付かせる知的好奇心。そのスピリットを、現代のAI政策に重ねたセンスはなかなかだと思います。外来の知を恐れず吸収しながら、しかし自分たちの魂は手放さない。それが「源内」という名の核心だとすれば、国産AIへの挑戦はまさにその精神の体現です。未来への問いかけ2027年4月、評価を経て優れたモデルが政府調達される予定です。その時、どのモデルが残っているでしょうか。あるいは、選定された7件がそれぞれ独自の領域で棲み分け、まるで八百万の神のように共存しているかもしれません。それはそれで、日本らしい結末だと思います。AIを単なるツールと捉えてるなら、大きなところを見落としています。言語を扱い、価値判断をし、人の意思決定を支援する存在である以上、そこには必ず文化と思想が宿ります。どの国のAIを使うかは、どの価値観の中で生きるかという問いと、切り離せない時代が来ています。この取り組みは絶賛応援したいと思っています。焦らず、しかし着実に。外の力を上手に使いながら、自分たちの「魂」の部分だけは守り抜く。日本が長い歴史の中でやってきたことを、AIという最先端の領域でもやれると、信じたいのです。山にも川にも、台所の神棚にも神が宿るように、これからは日本のサーバーの中にも、日本人の心が宿るAIが生まれていく。その物語として、2026年3月のこの発表を、記憶しておきたいと思います。「落としたサイフも戻ってくる」...いい国だ。